2005年3月31日(木)BSハイビジョン22:00〜22:59放送
2005年4月3日(日)BS2(衛星第2)20:00〜20:59放送
〜出演体験記〜
     & 秘蔵画像


出演決定まで

何を隠そう2004年5月に最初の出演依頼があった時にはボツになってしまったので、もう一度2005年2月に話があった時には正直な話、あまり乗り気ではありませんでした。

私はもともとテレビ出演自体好きではなく、それは過度に緊張するし、恥ずかしいし、「マニア」の部分に焦点が当てられるのはこんな私でも複雑な気持ちだったし、何よりも今のように姿のはっきりしないウェブ上の「上ちゃん」でいられる方がよっぽど自分の性分に合っていると思っていたからです。しかし、一方では駅弁応援サイトの管理者として、メディアを通じて駅弁の魅力を熱く語るにはまたとない機会であるという思いもありました。こうして悩んだ末に、最終的に出演する決意をしたのです。


打ち合わせの日々

2月18日、制作会社のディレクターさんが「冬ソナ弁当」など、駅弁のお土産を片手に我が家を訪れ、どういう形で番組を作っていこうかの打ち合わせが始まりました。
「熱中人」という設定なので、マニア的な部分に焦点を当てたい制作者側の意向と、駅弁への応援メッセージにしたいという私の意向とがなかなか折り合わなくて苦労しました。何度かメールで送られてきた台本の案を修正してもらいながら、10分前後のシナリオがだんだんと形になっていきました。


緊張の収録前日、当日

3月13日、いよいよスタジオ収録です。前日の深夜からオリジナル駅弁「鯛めし」を作りはじめました。合計6食分。薬丸裕英さん、平山あやさんなど、出演者のタレントさんにも食べていただくため、早くも緊張します。
娘たちがすりこぎで鯛の身をほぐしたり、息子が掛け紙を作ったりと大変。最後の仕上げは私。しかし、朝4時に起きるつもりが気づいたら6時半。こんな大切な日に寝坊する自分が怖い。あわてて飛び起き、おかずなどを作って容器に盛りつけます。そのころ子どもたちはまだ普通に寝ていましたが、起こす時間的な余裕すらなし。

準備がこんな感じですから電車にも乗り遅れて、8時半過ぎの新幹線で三島駅出発。手には500枚の展示用掛け紙を持って。

実はこの日は赤羽駅の限定駅弁が売られている日でもあり、テレビも大切でしたが、その前に何をおいても10時までに赤羽駅に到着したいという気持ちがありました。時間的にはなんとかギリギリセーフ。しかし、予想だにしなかった売り切れ。どうも朝からツキがない一日のようです。

11時にNHKスタジオパーク入り。なんとここへ来たのは小学校以来でした。
さっそくスタジオに入ると、アリtoキリギリスtoの石井正則さんに会釈されました。タレントの方から挨拶してくるなんて、普通はないだろうと思っていたので、石井さんがとってもいい人に見えました。実際に控え室などでお話ししましたが、本当に気さくで感じの良い方です。収録を終えてからNHKの玄関でも一緒になり、幸運にも握手してもらいました。

スタジオのセットはCの画像のような感じです。新年度1回目の放映と言うことで、セットもリニューアルされていました。この真ん中の席に座り、すぐ左に平山あやさん、右に薬丸裕英さんが座っている姿を想像すると嫌がおうでも緊張しました。しかも、2週間分合計4人の収録のうち、私の収録は一番最後。夜の7時半スタートということで、時間がありすぎます。


「局弁」は「駅弁」

昼食はいわゆる「局弁」。なんと崎陽軒の「お赤飯弁当」、はっきり言って駅弁じゃん。少し心が和みました。その頃になると番組で使う伊豆急下田駅「伊勢海老弁当」や三島駅「鯛めし」なども続々と配達されてきました。この配送は2つの駅弁屋さんのご厚意によるものです。
私はひたすら前の人たちの収録をモニターで確認したり、台本を読み返したり、スタジオの中でうろうろしたりを繰り返して時間をつぶしていました。仲間内の掲示板に投稿したりもしましたが、誰からもレスなし。他の熱中人出演者は付き添いがいて心強いんだろうなあ、羨ましい、などと思ってみたりする。

さて、控え室に座っていると薬丸裕英さん平山あやさん高畑敦子さんらが普通に通り過ぎていきます。薬丸さんはスタッフにお団子を差し入れしていました。さすがっ。
Eの画像は出番を待つ駅弁たち。駅弁屋さんから直接送ってもらったり、スタッフが東京駅の旨囲門から買ってきたり、私も赤羽駅の駅弁祭りで横川駅「峠の釜めし」を買ってきたりしたものです。左奥の「ビジュ系駅弁」たちは容器こそ奇抜ですが、中身は入っていないものを送ってもらっています。右奥のオレンジ風呂敷が伊勢海老弁当。本当のことを言うと最初はこの駅弁を使う予定は無かったのですが、回り回ってこうなりました。でも、見栄えのする駅弁でしたし、結果的には使って良かったと思っています。

駅弁の掛け紙は500枚持ってきた割には掲示用のボードが小さく、100枚掲示がやっと。しかもテープの粘着力が弱いので、厚紙系はすぐに落ちてしまい、すべて用無し。結果として昔ながらの「掛け紙」のみの展示となりました。一番大きな松阪駅「極上松阪牛ヒレ牛肉弁当」を真ん中に据え、あとはスタッフにお任せしました。


リハーサル


夕方4時半にリハーサル開始。NHKアナウンサーの中川緑さん、アリキリ石井さんの他はスタッフが出演者の代役です。内容的にはほぼ台本通りに進みましたが、リハではアドリブが得意な本物の出演者ではないため、かえって何が起こるか分からない本番がとても不安になりました。

Fの画像のように、駅弁はテーブルがせり上がる形で登場します。リハでは蓋がしてありましたが、本番では中身が見せています。(しかし、本番ではしょっぱなから故障でテーブルがせり上がらず、とても焦りました。)

アリキリの石井さんも「上杉家食生活 密着24時」の紙芝居をかっこよく完璧に仕上げてくれました。しかし、本番では一番の聞かせどころで。。。でも、うまく編集されていましたね。よかった。。。


そして本番

前の熱中人が本番収録を予定の倍以上、2時間もかけていたので、待っている途中で私は疲れてしまいました。そんな様子を見てか、スタッフの方がお茶を入れてくれたり、話しかけてくれたりして、私の緊張をはなんとか持続させてくれました。夕食のまい泉「ひれかつサンド」を食べ、、気持ちを落ち着けていよいよ本番です。

薬丸さんたちとは本当に開始直前に挨拶した程度で、不安が解消されないまま、とうとう本番スタート。アナウンサーの紹介を受け、扉が開いて私の乗った電動トロッコ椅子はまぶしい世界へと発車してしまいました。もう後戻りはできません。

出演者からは、さすが思ってもみないようなアドリブの質問が飛び交う。聞いてないよ〜と思いつつ、こちらもどうにでもなれっ、という感じで答えていきます。もはや台本など関係なし。だいたい台本は持ち込めないし、もう頭の中は真っ白。
私、実際の放送では途中から下を向いていることが多かったですが、あれは台本ではなく、駅弁を無意識のうちに見ていただけ。だって駅弁見ていると緊張がほぐれるんだもん。

さて、レギュラー陣は相変わらずのアドリブ連発。薬丸裕英さんの「この新所原のうなぎはどうやって調理するんですか?」にはさすがに答えられず、しどろもどろに。。。もちろん編集されました。よかった。

北海道と九州を2泊3日で駅弁行脚した話になり、「なぜそんなことするの?」と聞かれ、とっさに「九州で買った駅弁を2時間後には北海道の原野を眺めながら食べてみたかった。その違和感がなんとも言えないんです。」などと自分でもわけわからないことを口走ってしまい、編集して欲しかったんですが、ここはカットされずにそのままオンエア。さぞかしマニアックに映ったことと思います。

掛け紙の紹介で戦中の岡崎駅「日の丸弁当」に加えて急遽、函館駅「青函トンネル弁当」を説明することになりましたが、ここはそれなりに無難に切り抜けました。しかし、残念ながら放映はされませんでした。

Iの画像は娘の誕生日に松阪駅「特撰元祖牛肉弁当」でパーティーをしている紙芝居の絵。放映の段階ではカットされており、こちらも残念。
また、車窓の富士山を見ながら私が駅弁を食べている絵(画像J)もカット。しかしこれは伊勢海老弁当のところで、ごはん、おかず、車窓を交互に食べるのを「駅弁の三角食べ」と呼んでいます、などとすでにしゃべっていたので、まあカットでもいいかなと。。。

それから、もう1人の熱中人と番組最後にアドリブでからみあうというシーンを5分くらい撮影したんですが、これもすべてカットでした。でも、「この駅弁太りの体ではまほろば鉄道の車内には入れないや。」などという情けない会話を交わしていたので、むしろ放映されなくて幸いでした。

その他、カットされて一番残念だったのは今後の抱負。思いっきり駅弁の応援をしていたのですが、すべてカット。悔しいので要旨を以下に書きます。

「衰退し続ける駅弁界ではあるが、日本の食文化でもある駅弁の文化を22世紀になっても残したい。そのためには大人たちが古き良き時代の郷愁に浸っているだけではダメで、次代を担う子どもたちにこそ駅弁の魅力を伝えていく必要がある。そこで自分の運営しているサイトに「駅弁学習室」のコーナーを設け、駅弁をあらゆる角度から楽しんで学べるように努力している。デパートやスーパーの駅弁大会が盛況で、もはや駅から出てしまった感のある駅弁ではあるが、いつまでも駅で買えるように今後も応援していきたい。 」


収録を終えて


ひと言で言えばホッとしましたね。あとはディレクターさんがうまく編集してくれるだろうと思うと気も楽になりました。

嬉しかったのは、息子が作った掛け紙に出演者の皆さんが直筆でサインして下さったことです。画像Lのサインは、たぶん左上から薬丸さん、右上がアリキリの石井さん、その下が東京女子大の黒崎教授、その下が(今回は出演していなかった)高畑敦子さん、そして下の真ん中が平山あやさん、左下がアナウンサーの中川緑さん。
さらに薬丸さんはこの掛け紙がかわいいからと言ってくださり、ご自宅までお持ち帰りになりました。感激ですね、これは。

また、私たち家族が作った「オリジナル鯛めし」に対しても、(素材が良いので旨いのは当然と言えば当然ですが、)出演者の皆さんは本当に素の表情で「おいしい〜」と言ってくださいました。そのリアクションがお世辞や嘘ではなく、本当においしいとしっかりと伝わってきたのでこれもまた嬉しかったです。

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このサイトを開設してから1年半、まさか自分がクローズアップされて「駅弁熱中人」として天下のNHKに、しかも15分も出演するとは思ってもみませんでした。ありがたいことです。こういう機会を与えて下さった関係の方々、このサイトを応援して下さる皆さんや、何よりも協力してくださった桃中軒さん、やまよしさん、伊豆急物産さんの地元駅弁屋さんたちをはじめ、松川弁当部さん、札幌弁菜亭さん、その他私が紹介させていただいたまねき食品さん、南洋軒さん、高松駅弁当さん、鈴木屋さん、万葉軒さん、高崎駅弁さん、おぎのやさんなど、全国の駅弁屋さんたちに心より感謝申し上げます。


実際の番組は。。。

「私は電車がないと飢え死にします。」と紹介された私がスタジオ奥から電動トロッコのような椅子で登場。そしてビジュ系駅弁も手前からせり上がってきます。

今まで30年以上かけて約4000食の駅弁を平らげ、全国で約3000種類の掛け紙を所有している、と自己紹介した後、掲示ボードにぴっしりと貼られた駅弁掛け紙が登場。今まで一つの旅行で食べた駅弁は、というシナリオ通りの質問をふられ、2004年の夏に2泊3日で九州と北海道を一度に訪れたときの34個。それは同行した娘と一緒に平らげたと説明。
なぜそこまでするのか、そして駅弁の魅力とはなにかを聞かれて語った後、お薦め駅弁として日本初メロディー付き米沢駅「牛角煮弁当」や伊豆急下田駅「伊勢海老弁当」を紹介。薬丸さんはここぞとばかり伊勢海老を一口で食べてしまいご満悦。ここで私はご飯、おかず、景色を食べる「三角食べ」に言及。
次に、さらなるオススメとして新所原駅「うなぎ弁当」を紹介し、掛け紙を自作したエピソードが明らかにされます。

ここで熱中秘密捜査官のアリキリ石井さんが登場。「上杉家食生活 密着24時」と題した紙芝居で札幌駅「ファイターズホームラン弁当」でのアイデア採用や家族での駅弁作りなどを物語風に説明。その後、駅弁を自作して私たち家族が楽しんでいることに触れつつ、石井さんは姿を消します。

さて、いよいよクライマックス。子どもたちと一緒に作ったオリジナル「鯛めし」を実際の三島駅弁「鯛めし」とともに披露し、出演者に食べてもらいます。みんな「しっとりとおいしい。」「ふっくらとした感じで口にすると甘いのてうまい。」などと誉めて下さる。ここで薬丸裕英さんが操作する「熱中バロメーター」(Fの画像に少し映っている点灯ランプ)が最高レベルに。余韻を残しつつ私の出番はこれにておしまい。約15分の全国放送テレビ初出演でした。



アリキリの石井さんが用いた紙芝居のタイトル




@5才の息子が描いたオリジナル「鯛めし」の掛け紙




Aオリジナル「鯛めし」の中身。(7時30分)




B赤羽駅で記念駅弁買い逃す(10時)




C「熱中時間」スタジオのセット




D前の熱中人のリハーサル風景




E出番を待つ駅弁




Fせり上がり式テーブル




G2泊3日九州・北海道駅弁行脚で食べた駅弁一覧




H収録はしたが今回は放映されなかった駅弁掛け紙




I娘の誕生パーティーを松阪駅の駅弁で祝う紙芝居(放映なし)




J車窓をおかずとして楽しみたい駅弁紙芝居(放映なし)




Kビジュ系駅弁などを手に満足顔の私(放映なし)




L「熱中時間」出演者のサイン



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