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大雪の東北駅弁行脚(後編)4

2005年12月25日、本当は前日に訪れるはずだった酒田駅でしたが、大雪に阻まれて1日延期。この日は「こまち5号」、「いなほ10号」と乗り継いでの酒田入りです。この旅の大きな目的の一つ、この駅で2005年10月末に撤退した酒田弁当販売さん亡きあと、堂々と店頭に看板を掲げて「駅弁」と主張しながらも、掛け紙がついていないお弁当を売り続けていた清川屋さんの弁当に、果たして掛け紙がついたかどうかを確認するということがありました。


まず、旅行記に入る前に、これまでのいきさつを述べてみたいと思います。

下は2005年9月17日、酒田駅改札口を出て左奧に店を構える清川屋さんの店頭(駅連絡口店頭)に置かれていた看板です。「酒田名物駅弁」と銘打って、売られているものが駅弁であることを主張していました。もちろん、普通の人から見れば、「駅で売られている弁当イコール駅弁」でいいのでしょうが、マニアの世界では私を含め、「掛け紙」があってはじめて「駅弁」であると考える人は少なくないと思いますから。 

           

強い興味と関心を抱いた私はすぐにお店に入り、駅弁を探したわけですが、そこにあったのは残念なことに「香梅咲(かめざき)」と書かれたシールが貼られただけの、ごく普通の仕出し弁当でした。

      

地域性あふれた食材を使用しており、見るからに美味しそうです。お品書きもあり、内容的には立派な「駅弁」と言えるでしょう。しかし、前述したように、「駅弁」と主張するからにはせめて外見的に弁当名を記した「掛け紙」がなければ、駅弁ファンの多くの人たちには「駅弁」として認められるはずがありません。

      

そこで、店員さんに「掛け紙はありますか? 掛け紙を掛けてください。」と伝えると、下のような包装紙を掛けてくれました。しかし、これでは「駅弁」とは呼べません。弁当名がどこにもありません。その弁当にだけ使用される包装紙でなければ、駅弁掛け紙とは言えないと私は思いました。

      

以上、ここまでが2005年9月17日、清川屋さんの弁当と私とが初めて出会った時のエピソードでした。


さて、この話はここからが本当のスタートです。


実は、清川屋さんは以前より当「駅弁の小窓」サイトのトップページにあるアフェリエイトでお世話になっていたスポンサーでした。そんな縁続きだったことを知り、どうしても駅弁として認められるように応援したくなったのです。

誰からも「駅弁」と認められるためには掛け紙の作成が必要です。以前私は新所原駅「うなぎ弁当」の掛け紙を作成して提供したことがありますが、それはあくまでも地元にある個人経営のお店だからできたこと。今回は遠く離れた地にある企業に対しての働きかけとなります。そこで駅弁とはどういうもので、そう名乗るためには掛け紙が必要で、というような説明から始め、何としても自社の判断でで「弁慶弁当」専用掛け紙を作ってもらおうと考えました。

私が自宅に帰った9月17日、担当者にお願いすることから始めました。最初の反応はよく、自社でもその必要性を考えていたところなので早速作ります、という回答を得、とんとん拍子に進む話に嬉しくなりました。

しかし、それから話が進まなくなりました。11月に入り、酒田弁当販売さんの撤退をお知らせするついでに、その後の掛け紙作成状況を聞いた折、「掛け紙は作りたいですが、採算が合いそうもないので中断しています。」という回答をいただき、このままではまずいと思いました。

そこで、12月に入ってから、「何も弁慶の絵を何色刷りかで作るような素晴らしい掛け紙にする必要はなく、パソコンで作る安価な手作りインクジェットのものでいいです、これならお金はかからず10分でできます、全国にはそういう駅弁掛け紙も多く見られますから。」というような趣旨の要望を提出させていただきました。

その後、しばらく連絡がつきませんでしたが、私がこの旅行で留守にしていた12月23日、担当者の方からメールが届き、それは私からの「アドバイスを元にした掛け紙の試作品ができたので15日ころから試験的に付けて売ったところ、記載ミスに気づいて作り直しています、でも、あらかた完成しましたよ。」という内容のメールでした。

私はこのメールに添付されていた掛け紙の画像を24日の夜(一時帰宅の際)に見て感極まり、翌25日は何があっても酒田に行こうと心に決め、その旨を返信しました。こうして実際に酒田を訪れ、山形から運良く営業でいらした担当者の方とも直接お会いすることができ、掛け紙の完成にも立ち会うことができたのでした。




さあ、そういうわけで新しい酒田の駅弁が名実共に誕生しました。とくとご覧あれ。



私が12月25日に酒田駅を訪れた時、上のような様子ですでに売られていました。



てっきりパソコンでの手作り掛け紙かと思ったら、ちゃんと印刷したものでした。清川屋さんが最大限がんばってくださったことがよくわかります。絵はついていませんが、かえってシックで品があると私は思っています。もっと売れて広く知れ渡るようになったら、いつか凛々しい弁慶の絵を付けて、酒田に「弁慶弁当あり」と言われるようになればいいですね。

             

おまたせしました。酒田駅弁「弁慶弁当」の中身を見てみましょう。トロトロのキングサーモン柚子香焼、海老酒塩、鶏八幡巻き、烏賊胡桃味噌など。料亭が作っているだけあって、味は申し分なしです。840円は絶対にお買い得です。

                 

おにぎりのごはんは「弁慶めし」と共通です。酒田市内の料亭「香梅咲(かめざき)」で作っている自慢の郷土料理であり、特に焼きおにぎりのことを「弁慶めし」と言うのだそうです。清川屋酒田駅店0234−23−9111。



さて、それでは「弁慶弁当」と一緒に羽越線の旅に出ましょう。旅には酒がつきものですね。

      

      

乗車したディーゼルカーです。すぐあとに始発の「いなほ12号」がありましたが、旅情を求めてこちらを選択(その選択はある意味でものすごく正しかったです。2時間後の「いなほ14号」の大事故を皆さんは知っておられるはずです。他人事ではありませんので、この場をお借りして亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。)。

      

雄大な庄内平野と「弁慶弁当」。砂越−北余目。最上川橋梁を渡る前です。実は「いなほ14号」の事故現場ではガクンと大きな音がして、何かを巻き上げたか、何かを踏んだかのような感じでした。今思えば、それも強風だったのでしょうか。。。私が通過した16時前にも酒田地方には強風警報が出ていたそうです。でも風の気配はあまり感じられませんでしたが。。。

      

「奥の細道最上川ライン(陸羽西線)」を走るキハ110と「弁慶弁当」。

      

キハ110の側面にはこんな絵が。。。こういう掛け紙になると爆発的に売れるでしょうが、著作権使用料がね。。。

      

清川屋で売られる「特別純米酒」と「いなほ12号」と「弁慶弁当」。

      

清川屋酒田店のパソコンに映る「駅弁の小窓」と「弁慶弁当」。

酒田で駅弁の灯が1つ消え、しかしまた1つ、駅弁の灯が点りました。「駅弁を応援するサイト」として少しでも駅弁のためにお役に立てれば幸いです。


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 ※「弁慶弁当」は2007年9月末で販売終了し、2008年4月より「ががちゃおこわ」が新発売となりました。