下は2009年4月11日、東京駅の東日本縦断駅弁大会で購入した八戸駅「復刻昭和元祖八戸小唄寿司」。

     

発売当時の「小唄寿司」を復刻し、2009年4月11、12日の2日間だけ東日本縦断駅弁大会にて500食限定で売られました。1200円。

     

容器が四角の現在とは異なり、丸型だったということです。

     

昭和時代の掛け紙や容器を復刻したということで、三味線をイメージした蓋などにも味がありますね。

     

下は2008年9月27日、東京駅旨囲門で購入した「発売50周年記念八戸小唄寿司」1300円。

  

八戸駅では2008年10月1日から発売されると聞いていましたが、東京駅旨囲門では先行販売ということでしょうか。「発売50周年」の幟も登場し、大々的に宣伝されていました。

     

この駅弁は昭和36(1961)年の夏、観光協会の肩入れでできた駅弁だと言われています。少なくとも私の持つ資料には昭和36(1961)年発売開始以外の記述は見つかりませんでした。そこで発売50周年というと、平成23(2011)年のような気がするのですが、調製元自らが「発売50周年」と言っている(敢えて「駅弁」とは書いていない)のですから、昭和33(1958)年に誕生した寿司で、その後いろいろあったということになりましょう。機会があれば確認してみたいと思います。

     

容器は記念バージョンのためか、三味線の胴という感じではありません。甘酢生姜と醤油は別添です。今やコメディアンとしてより画家として有名な片岡鶴太郎さんが描いたプレミアムカード付きです。

     

具材には、おぼろコンブを巻いたウニ寿司を新たに加えたというのがポイント。従来の八戸前沖サバ、北洋産紅サケとで3種類の寿司駅弁となります。

     

おぼろコンブ巻きをナイフ代わりの三味線バチで切ってみると、中から蒸しウニが顔を出しました。これらの寿司飯自体の合わせ酢は少し甘め。しかし、鮭と鯖切り身の酢はきつめで、その味のハーモニーが変わらない味として昔から好まれてきました。鯖と鮭はまず塩漬けにされ、鮭は3日間、鯖は2日間じっくり秘伝の酢に漬け込むのだそうです。この行程こそ、濃厚な酸味のきいた鮭と鯖の味わいを生み出す秘訣なのだとか。

     

発売当初は全く売れない日々が続いたと言うことですが、昭和38(1963)年、横浜高島屋の駅弁大会に実演出品したところ、飛ぶような売れ行きで、一気に有名駅弁の仲間入りをしたそうです。その後、昭和40年代前半の全国駅弁コンクール(日本観光新聞社主催? 日刊スポーツ杯?)で1位になったということです。

     

別添の甘酢生姜と醤油以外は化学調味料などの添加物を一切使用していない、半世紀前の作り方を頑なに守った誠実なホンモノの寿司駅弁です。

     

片岡鶴太郎さんが描いたプレミアムカードは毎年絵柄が変わるということで、それはつまりこの寿司が一過性の記念駅弁ではなく、今後も定番商品化することを暗示しているのではないでしょうか。

     

下は1986年2月22日購入の「八戸小唄寿司」。パッケージに中身の写真が付いており、資料としても貴重です。

        

下は1981年の掛け紙です。この駅弁の名前のモトとなった民謡「八戸小唄」の歌詞が綴られています。

        

下は1967年1月10日のものです。当時、八戸駅は「尻内」駅と呼ばれていました。鯖と紅鮭の押し寿司ですが、三味線の胴をかたどった容器に、寿司を切るナイフが三味線のばちの形をしているのがなかなかのアイデアでした。最初にこの寿司が市民グループ「八戸アイデア・グループ」によって考案された当初は奥入瀬川のニジマスで寿司を作っていたとか。しかし、それが失敗して、吉田屋がこの寿司を引き継ぎ、鱒を北洋産の紅鮭に変えて現在に至っているということです。もしかすると「小唄寿司」として最初のアクションが昭和33(1958)年ということで、それから50年経った(吉田屋調製の駅弁としては48年)ということなのかも知れません。

        

下は2005年11月8日購入の「八戸小唄寿司」。鮭の赤身、鯖の白身が紅白なことから、八戸ではお祝いの時にも食べるのだとか。

        

下は2005年12月10日購入の「八戸小唄寿司」。三味線のバチの形をしたナイフで切り分けて食べます。鯖と鮭の切り身は上品と言うよりは豪快に酢飯の上に載っています。

    

かつて「全国駅弁コンクール第1位」をとったこともあるだけに、ハズレのない美味しさがあります。ネタの酢は多少きつめに感じました。

    

中蓋は三味線の本体をイメージしているかのようです。これは細かい演出かも知れません。

    

下は2006年7月30日に撮影した吉田屋の本店。右の木造建物は昭和元(1926)年に建てられ、80年以上の歳月を重ねました。ここで今も調製される「八戸小唄寿司」も、この建物と共に、いつまでも売られ続けて欲しいと思います。

    

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