ふるさと銀河線を心に刻みましょう。


2006年4月20日に廃止となってしまった北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線

私は国鉄池北線時代が2回、ふるさと銀河線になってからは1回しか全線走破していませんので、本来ならばこういうページを立ち上げる資格などないのですが、今回、イベント駅弁を手がけてきた陸別の浜田旅館様からの御厚意で、沢山の資料をいただきましたので、このページをご覧になる皆さんに、いつまでも北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線のことを記憶にとどめていただきたいと考え、僭越ながら駅弁のページとして立ち上げることにしました。

   
    ↑2002年7月30日に北見から池田まで乗車した北海道ちほくふるさと銀河線の快速列車。

路線廃止の辛さは当事者になってみないとわかりません。私は大学の鉄道研究会時代、国鉄妻線、そして国鉄丸森線の存続運動を調査し、丸森線では廃止反対運動にも参加しました。しかし、いくら地元が存続に際してさまざまな運動を繰り広げても、結局は通らないというのが常のようで、なんとも虚しさが残ります。ふるさと銀河線についても、その存続運動では駅弁も一役買いましたが、結局は叶わぬ夢となりました。しかし、そういう駅弁の存在を心に刻むことによって、いつまでもメモリアルとして残しておきましょう。

下は2001年7月30日〜8月5日、C11207が牽引する「ふるさと銀河線SL銀河号運行記念弁当」です。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、掛け紙および中身の画像としていただいたものです。ありがとうございました。

     

     

また、2004年11月21日、復刻版が出されました。下はその時の中身です。鮭や帆立が北海道らしさを思わせます。

     

鮭や帆立が北海道らしさを思わせます。星形をした人参が「銀河」を意味しているのでしょう。

     

下は2002年(平成14年)10月13日のイベント駅弁。この資料については2004年にオークションで入手しました。

淕別驛前濱田旅舘調製の「祝 網走本線全通九十周年記念御辨當」の包装紙です。オホーツク銀河号に乗車した際に参加者に配られたイベント駅弁。淕別(陸別)駅のまぼろしの駅弁と言えます。

                

下は2005年6月4日、5日限定で発売された「川上駅開業85周年記念 秘境駅特製おにぎり弁当」。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、カラーコピーとしていただいたものです。ありがとうございました。

川上駅は陸別駅より北見駅寄りに2つめの秘境駅です。そういう駅もクローズアップし、廃止になる1年前に、それはふるさと銀河線が開通した1989年6月4日から16年目のその日に発売されたのでした。心に刻もう!ふるさと銀河線の会が秘境駅「川上駅」でイベント開催したときのものです。


    

下は2005年7月16日〜17日に販売された「小利別ふるさと駅弁」。心に刻もう!ふるさと銀河線の会が小利別駅で語らい、来駅記念などイベント開催しました。置戸〜陸別間では臨時列車「臨時快速銀河」に乗車する星空観望ツアーも実施されたようです。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、カラーコピーとしていただいたものです。ありがとうございました。

    

下は上とほぼ同じ掛け紙ですが、日付が入っています。2005年の9月24日に実施された小利別駅メモリアルイペントの駅弁「小利別ふるさと駅弁」。この資料については2006年にオークションで入手しました。


    

    

下は2005年11月13日、旧網走本線全線開通記念「ちほく弁当」。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、カラーコピーとしていただいたものです。ありがとうございました。

「いい日旅立ち」のロゴマークが何とも言えませんね。その昔からこの路線で活躍した車両たちがイラストされています。

            

下は「銀河弁当」。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、カラーコピーとしていただいたものです。ありがとうございました。

    

下は2006年2月12日。「銀河線★ほかほか新婚弁当」。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、カラーコピーとしていただいたものです。ありがとうございました。

この日に結婚されたカップルのために作られた幸せいっぱいのオリジナル駅弁だったのでしょう。

    

そして、下は2006年4月20日、「さようならふるさと銀河線 想い出駅弁」。ふるさと銀河線が廃止になったその日に限定150食売られた駅弁です。1から150までナンバリングがしてあったということです。なお、この画像にはナンバリングはありません。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、カラーコピーおよび画像としていただいたものです。ありがとうございました。

戦前の駅弁掛け紙に使用した版木がかつて待合所を営んでいた旧家から見つかり、それを今回の掛け紙デザインとしたそうです。駅前の河本待合所調製の木版駅弁掛け紙。「御弁當」15銭、「御寿し」10銭で売られていたのは明治の終わりから大正の初めにかけて(推定明治40年〜大正2年)の価格です。間違いありません。網走本線として明治43年9月22日に開業したまさに当初の駅弁掛け紙が見つかったのも何かの因縁でしょう。

    

中身は鹿肉のカツ、秋鮭の塩焼き、陸別産の野菜や牛乳プリン、焼売、白ポテトサラダ、玉子焼きなどだったようです。

    

赤、黄、緑の星形と窓を表す海苔がいかにもふるさと銀河線の車両みたいでいじらしくさえ感じさせます。

    

下は、同4月20日に発売された「栗まんぢう」。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、カラーコピーとしていただいたものです。ありがとうございました。

明治44年に河本待合所で販売されていたものだそうです。これも木版印刷ですね。ラストランのこの日は「柳月」が製造したようです。

    

下は2006年4月20日に当サイトの掲示板で交わされた「ふるさと銀河線」関連の会話です。リンク箇所についてはすでにリンク切れがあり、すべては再現できなくなってしまいました。

「さよなら「ふるさと銀河線」で駅弁販売」04/20 (木)21:02上ちゃん
きょう4月20日で廃止となる「ふるさと銀河線」では「さよならセレモニー」が各駅で行われたようですが、陸別駅では40年ぶりに1日だけの駅弁が復活したと言うことです。限定150食。中身は鹿肉、陸別産の野菜や牛乳などが使われていたようです。調製は浜田旅館なのでしょうか? 詳しくはこちらへ。 なお、陸別駅弁はイベントで2002年に作られたことはありました。また、こちらのサイトでは「ふるさと銀河線」のきょうの様子が詳しく紹介されています。お別れ式の実施等についてはこちらこちらでも見られます。こちらではわずかに駅弁らしき画像が見られます。駅弁は11時から売られたようですね。
↓砂丘の白兎さんのレス
旧JR池北線こと、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線。たぶん今頃は最終列車が走り始めた頃ですかね?地元の人の割合、半分あったのかな? 走り終えた直後から、踏切を第一番にゴールデンウイーク過ぎまでにはかなりの線路が剥がされるらしいです。11年前に消された旧JR深名線より早く、線路が消えるかもしれない…。この記念駅弁、ここの常連さんで入手した人がおられたら凄いです。ちゃんと食べて中身画像と共にだと尚更。でも、たぶんないな。
↓上ちゃんのレス
駅弁の名は「想い出駅弁」。1000円だったようです。戦前の駅弁掛け紙に使用した版木がかつて待合所を営んでいた旧家から見つかり、それを今回の掛け紙デザインとしたようですね。駅弁の仕掛け人は「心に刻もう!ふるさと銀河線の会」の会長さんだったとか。



※こちらのページにはふるさと銀河線について詳しく書かれています。


下は浜田旅館の箸袋と、ふるさと銀河線の精算済証明書3種です。この資料は調製元である浜田旅館様の御厚意で、思いがけずにいただいたものです。ありがとうございました。

    

下の画像は2005年7月22日の北見駅の様子です。
遠い昔に池北線はもちろん完乗しておりますが、2002年には旧地北線のふるさと銀河線の列車に乗り、北見駅「ほたて丼」を食べながら久しぶりに全線走破しました。このときには夏休みの親子企画きっぷがあり、当時小学生だった娘(次女)は全線100円で乗れたのを思い出します。沿線の各駅には工夫が凝らされ、設備も新しかったと記憶しています。なのに、この路線が2006年春に廃止されてしまうというのはとても悲しいことでした。

     

下はその北見駅「ほたて丼」。これは2005年7月22日に食べたものですが、同じ物を2002年7月30日、娘といっしょにふるさと銀河線の列車内で食べたのでした。

     

下は2002年7月30日に食べた池田駅の「十勝牛のワイン漬ステーキ辨當」。

         

中身画像は2006年4月4日にはやしさんが購入したものです。

 

下は2002年7月30日に池田まで乗車した北海道ちほくふるさと銀河線の車両です。快速列車でした。この画像も北見駅のものです。

    

銀河線の車両10両のうち6両は陸別に動態保存され、観光列車などとしての出番を待つ予定とか。3両は海を越えてミャンマーの国鉄に売却、そして1両は埼玉県の鉄道愛好グループに売却され、旧国鉄美幸線の運転体験施設計画で使用されるということです。ちなみにすぐ上の画像にある車両CR75−2は陸別に動態保存されています。

      

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