大正10年10月9日午前9時調製の「上等御辨當」。40銭。横浜市の沿革が書かれています。また、横浜公園の様子が印刷されており、当時の様子をうかがい知ることが出来る資料となっています。調製者は「久保ハル」。創業者の「久保コト」(旧姓野並)さんとはどういう関係なのでしょうか。

       

下は大正13年10月27日。「上等御辨當」。35銭。右下には「投げては危険ですから空びん空箱は腰かけの下へ」と書いてあります。崎陽軒は大正12年2月に合名会社となりました。代表者「野並茂吉」と書いてあります。9月の関東大震災を乗り越え、翌年の駅弁です。

           

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