上の「御寿司」掛け紙の裏面が、左の「御料理辨當」掛け紙に代用されています。

上は日の丸や飛行機からわかるように、戦時中の「御寿司」の掛け紙。おそらく昭和15年以降のものと思われます。

そして、その掛け紙がなんとか戦禍を免れて戦後直後まで残り、中村亭は駅弁販売を再開しようとしたわけですが、あいにく掛け紙に使う新しい紙が無いので、仕方なく戦前に使用していた掛け紙の裏に簡易的な印を捺し、別の駅弁掛け紙として使用したというのが真相です。

「御料理辨當」と言っても、なんと言っても終戦直後ですから白米などは入っておらず、煮込んだ芋や野菜などが申し訳け程度。「公」とあるのは政府が決めた公定価格のことで、5円というのは昭和21年頃の価格です。ちなみに昭和22年4月には10円に値上げされていますから、戦争直後に売られていた非常に数の少ない貴重な駅弁の掛け紙ということになります。

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