貨車さんよりコメントをいただきました。

この駅はたしかに昭和10年に旧東清鉄路の残りで、ソ連経営になっていた、北満鉄路を満州国が譲渡してもらった賓京線になります。(満州国国鉄、しかし経営は満鉄委託)列車をとおすにあたりソ連軌道1620ミリを満鉄の1435ミリに変更しなければなりませんで、そのために新京−ハルピン間を9つにわけ、絶った1日で全区間の軌道変換を達成しています。この区間に「あじあ」が延長されます。しかし新京-ハルピン間の線路は地盤が弱く、「パシナ」は入線できず、やむを得ず「パシコ」型に変更。運転開始当時まだ変更ができていないのでハルピンには、新京から吉林、拉法を経由し、ハルピン郊外三果樹で賓京線に連結する線(こっちは1435ミリ)を通して大連行き「あじあ」編成をハルピンに回送させています。
このあたりでは日露戦争中帝政ロシアの鉄道を爆破した日本人ゲリラ(多くは日本陸軍軍人が清国人に化けた者)が多数銃殺されており、記念碑、忠霊塔がありました。また昭和20年まではハルピン駅ホームには安重根の銃弾に倒れた「伊藤(博文)公遭難地点」のレリーフがありました。(安重根ではない、という設もあるのですが・・・。)


昭和初期か。
雙城堡(そうじょうほ)駅舎が描かれ、現在でもほぼ原形をとどめているようです(こちら)。
雙城堡(双城)は現在ショワンチョンと呼ばれ、長春(チャンチュン)からハルビンに向かう途中、50qほどハルビンの手前にある都市です。
掛け紙には「韓光弟将軍墓所」や「日本人は此処に在り 村上氏等遭難地」などの名所が紹介されていました。


   戻る