左は東松軒。


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戦前のもの。大正〜昭和初期(昭和6年以前)か。
列車食堂の案内チラシです。

戦前の列車食堂はみかど、精養軒、伯養軒、東松軒(後の水了軒)、東洋軒(後の日本食堂)、共進亭(後の日本食堂)がありましたが、この仙臺ホテル列車内食堂というのは昭和6年に「伯養軒」として仙臺ホテルから分離独立しますので、左のチラシはそれ以前の年代と言うことになります。ちなみに「伯養軒」の列車食堂部門と構内食堂部門は昭和13年に日本食堂に合併させられてしまいます。駅弁はそのまま「伯養軒」として残りました。

仙臺ホテル列車内食堂は上野と青森間を結ぶ急行列車の列車食堂業者へ指定されたそうですが、次第に路線を広げ常磐線や奥羽本線にまで拡大したとのことです。

列車食堂のメニューで親子丼が25銭、カレーライスが18銭というのは、当時の普通駅弁30銭より割安でした。
「ただいまよりご注文をいただき、順次差し上げるべく申し候なり。」という言い回しは大正時代の雰囲気を漂わせています。