昭和30年7月11日。
右上に「新潟県産等外米精撰製品」と書かれています。これは「外食券引換制度」から逃れるために、駅弁屋が、米の収穫が終わった残りの質の悪い米を「等外米」として自由に駅弁として売るための妙案だったようです。

左横には「お願い(外食券不要)」と題し、次のように書かれています。
「この御辨當の御飯は等外米精製品、人造及び押麦の混炊品です。現下の食糧難を克服するため何卒節米にご協力の程をお願い申上げます。尚時節柄御早めに召上がって下さい。 静岡鐵道管理局構内営業人組合」


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下は昭和14年9月13日。戦前のものです。
この15年で桃中軒は沼津駅の2階に食堂、駅前には喫茶とグリルの飲食店を新たに展開したことが読み取れます。