新潟県在住の貨車さんよりコメントをいただきましたので紹介致します。
名古屋駅の弁当のに車窓を眺める陸軍軍人のがありました。このころ軍部は浜名湖鉄橋が米軍の艦砲射撃で寸断されたらどうする、というので二俣線がつくられるのですが2,3本重要列車が通ったのみでした。
横須賀線、呉線、小浜線、佐世保線とかでは「海軍鎮守府」がみえてくると、自然とそちら側の窓、よろい戸をおろさなくてはなりませんでした。ただでさえ「軍事機密」なのにくわえ、昭和16年のまさに開戦寸前あの「ゾルゲ事件」が発覚してしまい、「防諜」が気が狂ったように叫ばれていきます。駅弁にも「防諜」「スパイ」がちらほらみられますね。
あの「大和」建造のため、長崎の英国領事館ウラに海軍がバカでかい倉庫をつくってごまかしていた、日本郵船長崎‐上海航路でも三菱造船所側は乗客に見せぬようにと海軍が通達、というエピソードも。」



昭和14年6月14日午前11時。
車窓を眺める兵士。見える看板に「国民精神総動員」の文字。「守る公徳 輝く日本」。いかにも戦争前夜という感じの掛け紙ですね。


   戻る