高校の授業では「帝國主義の手先、英国の東インド会社とおなじ」と散々コテンパンにかいてあるが・・・。
さて、日中戦争が当時「日華事変」とよばれてたのは「戦争」とするとアメさんが「中立法」を適用してしめつけてくるため。といってもすでに米国と蒋介石の間に暗黙の了解があったんですが。
「紀元2600年」の奉祝行事にでてくる鳥は「金鵄」といいます。おめでたい鳥。
この年「昭和15年」は4年前のベルリン・オリンピック(ナチスが其の異様を世界に示す格好の舞台であり、「ナチ・オリンピック」とも。水泳の前畑、マラソンの孫などにHン人が金メダルに何度も輝く。が、孫は朝鮮人でゴタゴタが起こった。)の次「東京オリンピック」の開催が予定されていました。さらに万博も。そして「弾丸列車」計画がでっちあげられていました。
現在の東海道・山陽新幹線を建設ののち朝鮮海峡にトンネルを掘り、京城、奉天、新京または北京に通じさせるもの。電車方式でなく、電気機関車と蒸気機関車のバケモノがデカイ客車を牽引。(あじあの寝台列車版)しかしすべてオジャン。まぁ「紀元2600年奉祝」だけでも祝おうということに。ついでに。「ゼロ戦」というのは「零式艦上戦闘機」といいますがこの「零」とは「紀元2600年」で「零」になると言う意味です。だから昭和14年正式採用のものは「九九式」16年だと「一式」となります。 またこのころタバコの「ゴールデンバット」が「金鵄」に改名。「コウモリから金鵄とはエライ出世」と言われたし「チェリー」も「櫻」へ。
暗ーいこの時期大政翼賛会は珍しく「祝え!元気に!ほがらかに!」というポスターをはり、自粛させてた「遠足」「修学旅行」が解禁され、配給制の酒など嗜好品がかなりでまして、東京ではイルミネーションつけた「花電車」も。南京陥落以来。しかし翌日には「祝いは終った!さぁ働かう!」という看板が・・・。

昭和14年以降どんどん質がわるくなってきました。「日の丸」といっても白米でなくて麦のほうが多かったり。食堂車のメニューにも戦艦「長門」が印刷されたり。
「昭和新山」では近くをはしってた「胆振線」が大打撃をうけ、急遽線路の付け替え工事をします。普通のときでもかなりかかるのですが、急ピッチで、(朝鮮人をこき使って・・。)
変更しました。室蘭への石炭・鉄鉱石運搬の重要ルートでしたが胆振線自体廃線になりました。
さて昭和17年ついに世界初の海底トンネル「関門トンネル」が開通しますが戦時中。
特急「富士」が長崎(港)まで延長され、上海航路と連絡。しかし食堂車の質が下落していました。当時は普通列車は三人がけでした。ついには寝台車・食堂車・展望車の廃止。
しかしこれら高級客車は空襲をさけるように保存され、戦後GHQのRTO(レイルウェイ・トランスポーテーション・オフィス)にのきなみ接収されます。
あの「欲しがりません勝つまでは」ですが、日本のオリジナルではありません。
第一次世界大戦中ドイツ帝國でうまれたものだそうです。





禁転載
昭和15年2月11日。
古い駅弁の書籍を読んでいると、必ず出てくるのがこの掛け紙。ついに手にすることが出来、感慨深いです。絵柄は奈良県の橿原神宮。
これを境に駅弁包装紙には「国民精神総動員」「仰ぐ聖地に輝く紀元」など、ウルトラナショナリズムに満ちた標語が氾濫することになります。


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新潟県在住の貨車さんより2004年4月に補足説明をいただきましたので以下に原文のまま掲載します。