貨車さんよりコメントをいただきました。以下に記します。
京元線福渓は平康高原の一寒村でしたが、峠に挑むSLの給水基地として発展し急行列車も停車する駅に成長していきました。海抜554メートルの倹仏浪駅を過ぎると25パーミルの急勾配になり、603メートルの朝鮮総督府鉄道局の最高地点を通過して下り坂になります。三坊駅までは断崖、峡谷の迫る絶景ルート。14のトンネルと19の橋梁が設置されていました。また薬水が沿線ではでたそうです。(韓国焼酎「鏡月」に使うスハクサンの水か?)三坊にはかつての「三関坊」関所跡がありました。
この急勾配のため昭和18年朝鮮総督府鉄道局は東芝に電気機関車を発注(この当時日本の電気機関車技術はかなり進んでいた)同年「デロィ」の第一号機が落成。この区間の電化は19年4月。そして終戦。この地域は朝鮮民主主義人民共和国となり8輌の「デロィ」「デロニ」電機は北によって運行。また当時電化計画のあった京釜線電化用に京城に6輌戦中に到着していたが、これも1両をのこし、朝鮮戦争の最中に北朝鮮に持ち去られました。残った1輌も1958年に解体。
駅弁の航空機ですが双発、2枚あるような垂直尾翼、時期からして「九六式陸攻」ではないでしょうか。台湾などから中国の重慶などを爆撃しました。



昭和初期。

京元線福渓駅。福渓は北朝鮮の日本海側、東朝鮮湾の安辺(アンビョン)から高原(コウォン)に至る途中にある駅です。

戦局が緊迫しているような様子を表す戦闘機と投下される爆弾が描かれています。「護れ大空我等の責務」という戦時標語が躍っています。


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