新潟県在住の貨車さんよりコメントをいただきましたので紹介します。

なくなった祖父は新潟鉄道管理局内で国鉄職員でした。で、その祖父からもらった「日本国有鉄道百年史」写真版には明治9年10月1日にはウラが日英文に。
明治11年10月1日から1・2等の往復乗車券(3等無し)、明治21年からはひらがな、と写真つきでなっていました。
なお客車の1等白、2等青、3等赤のふりわけは山陽鉄道技師長、島安次朗(新幹線のあの島秀雄技師長の実父)考案。戦後進駐軍は「接収車輌」のほとんどに気に入った1等の白帯をしめさせていて「米軍は1等にのってる」と思われる。(しかしそれに近い)(白帯車の由来でした。)




たぶんウェブ初公開!!
※昭和48年当時の国鉄東京印刷場の概要は次の通りです。

1 所在地       東京都港区海岸1−10−63

2 職員数       160名

3 機械台数      85台

4 業務の範囲    群馬県を除く関東地方、各駅発の乗車券

5 年間製作数量   硬券  4億枚(全国の30%)
              軟券  5千万枚(全国の35%)
 
※現在は東京乗車券管理センターとなっています。        戻る
裏面の欧文は、一番上が英語、二番目がフランス語、三番目がドイツ語で、「鉄道規則をよくお守り下さい。」という意味のことが印刷されています。
見本
見本
見本
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このきっぷは明治5(1873)年、日本に鉄道がはじめて開設された当時のきっぷを、昭和48年9月22日、国鉄の東京印刷場で復元したものです。

「第二等」と印刷されてありますが、当時は一、二、三等の3種類があり、第一等は白色、第二等は青色、第三等は淡赤色で印刷されていたようです。

日本の鉄道はイギリス人技師の指導で開かれたわけですが、きっぷも同じようにイギリスから用紙および印刷機を輸入して製作したようです。

このきっぷの規格寸法は、レールの幅の1067ミリ(3フィート6インチ)と同じように、今でもきっぷの基本型となっています。
裏→
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鉄道開業当時のきっぷ