↑岩原スキー場前〜越後中里間にて。冬はスキー場で賑わっているだろうペンションの敷地に、“列車ホテル”の客車編成。20系?24?手入れはされているようだが、人がいないと淋しい。

記念駅弁を見る  あくありすらんどに戻る


 ↑ ついに米坂線に突入!これから山じゃぁ。


小国駅を過ぎてからの車内抽選会、なんと実際使われていた横サボが当たっちゃいました〜。びっくり…。↓
3日目、仙台で常宿にしているサウナを4時半に出て駅へ。8時15分発『仙山』まで時間があったので、これまでの3時間を利用して仙石線を往復し踏破。幸いにも石巻方先頭車はLCカー(ラッシュ時はロング、閑散時はクロスになるシートの車両。)だったので、旅行気分は保たれた。座り心地は…並。石巻まで行って来いの後急いで朝飯を調達し山形へ、そして米沢へ。

『べにばな』発車後『あさひ』入線。前日同様に引換証をツアー担当者に提示して記念駅弁と記念乗車証を受け取り、早速着席。そして定時に発車。心地よい秋風と青空の下に我が物顔で快走し、新潟を目指す。少し窓を開けると赤い物体が車内に迷い込む。何かなと見てみると、蜻蛉が一匹…そういやぁ最近見なくなったな。小さい頃は田圃だらけだった家の近所も今じゃアパートと新興住宅、夏の風物詩だった蛙もかなり減り、豊年蝦や甲蝦は見なくなった…。

こんなセンチメンタルな気分に浸っていると、このツアー唯一のイベント車内抽選会が始まった。往路で偶然にも長岡〜直江津〜新井の行先表示板(いわゆる“サボ”)が当たり、ひょっとして今日も当たるかも(*^_^*)なんて期待したが、そんな邪な気持ちが天には通じたのか、全く当たらず。そもそも当たったことに感謝すべきなわけで、再び車窓に向かう。
今泉,小国と停車し、小国では交換待ちでやはりミニ列車撮影会。その間に昼飯の記念駅弁をたいらげる。仕出し弁当風だったのは悔やまれるところか。その後再び山を越え坂町到着。ここで定期の普通電車を待つが、こいつが“ウィルス”127系電車!オールロングシートのつまらん電車に先を譲らなければならない、臨時団体列車の悲しい立場…(v_v)やり過ごして新発田,豊栄と停車。

14時27分新潟到着。ここに『あさひ』往復乗車は完了し、今回の旅行のメインイベントは終了。あとは帰るだけだが、まだ目的はあるわけで…上越国境を越えて、運良かば2階立て開放サロに乗車…。

何とか乗り継ぎはうまくいき、越後湯沢へ。ここでの停車時間で夕飯他の駅弁を仕入れ、いざ山越え!景色をぎりぎり楽しみ水上そして高崎へ。高崎からそのサロの2階に乗車し暫し睡眠。上野到着後『ムーンライトながら』の当日キャンセルを訪ねるが、いつもなら何とか出るそれが今回は出ず。たくさん駆けずり回って、発車1時間前の東京駅みどりの窓口で…
「今日の『ムーンライトながら』ありますか?」
「1枚あるよ、ここに。」


足元には、かつての乗場案内がくっきりと。本当にその時代の『あさひ』の客になった気分(上下の画像とも小国駅)。
あっ、タブレット持ってる!
   〜弥彦駅にて〜



 記念駅弁を見る


久しぶりの長距離旅行。今回の目的地は、新潟から山を越え米沢,福島と回り仙台へ。翌日は仙台から山形を回り米沢へ行き、山を越え新潟へ、そして首都圏へという壮大な旅行。それ故に、有休をもらった初日金曜日はひたすら移動(途中下車あり)。JRC管内ほとんど座れず。そうは言っても、鳥取からの出発に『だいせん』に惜別乗車しているところは私らしいか。

『ムーンライトえちご』で夜を明かした2日目、『あさひ』まで時間があったので弥彦線を往復し踏破。そして、『きたぐに』のグリーン車に乗ってぷち贅沢(*^_^*)サロ583-101の天井の高さとリクライニングの深さは想像以上!1時間の豪華な朝飯…。
新潟到着後、出発まで駅に佇む。キハ52形『べにばな』、485系3000番台『いなほ』『北越』、そして『きらきらうえつ』に『SLばんえつ物語』…ぼけ〜っとするだけで楽しい駅って何かうれしい。都会から消えつつある車種のバラエティがそこにある。

『北越』発車後、いよいよ6番線に真打ち登場!ピカピカにお色直しを受けたキハ58・28系『あさひ』がゆっくり入線。引換証をツアー担当者に提示して記念駅弁と記念乗車証を受け取って早速着席。一部ロングシートに改造されていたのは残念だが、全国から駆逐されている現状を考えたら、ちゃんと動態保存しているだけ恩の字。そういているうちに発車時刻になったが、一向に動き出さない。聞くとどうもツアー客を乗せた新幹線が車両故障を起こし、越後湯沢〜新潟間運休、急遽別の新幹線に乗り換え。その人達が新潟に着くのを待って発車。約20分遅れの波乱のスタート。

そのせいか、坂町まではフルスピードで爆走!!ここまでの各停車駅(豊栄,新発田)の停車時間を削り予定時間に修正。おかげで“急行”運転を体験でき、ハプニング演出に感動!米坂線に入った後はまさに一人舞台。唯一の列車交換待ちは小国のみで、その交換待ち30分を利用してミニ列車撮影会に早変わり。その時間に昼飯の記念駅弁をたいらげ、発車後米沢まで快走(途中今泉に停車)。

14時50分米沢到着。こうして『あさひ』往路の3時間はあっという間に過ぎて行った。その後前日予約していた駅弁を受け取り、もう一つの山越えへ。幸いにも、土休日運転の臨時普通電車のおかげで約30分の接続待ちで済み、板谷峠の鈍行を堪能。途中「峠の力餅」を直に立ち売りのおじさんから購入し、土産に。福島到着後臨時快速で仙台に向かい投宿。
新潟駅6番線に真打ち登場!ピカピカにお色直しを受けたキハ58・28
あくありすらんどに戻る
このリバイバル運転の情報も友人から。何でもJRE新潟の主催ツアー「懐かしの国鉄気動車急行で行く」シリーズ第3弾(第1弾『あがの』新潟〜会津若松。第2弾『羽越』新潟〜秋田。)で運行するとのことで、幸いにも18きっぷ期間だから狙ってみたらと。ここんとこ近所中心だったし、中学校の修学旅行以来の団体旅行を経験するのもいいかな、もしとれたら行ってみるか…とその気になってきて、いざ申し込みの日。

知っている人は知っているだろうが、このツアーはJREの旅行センター(びゅう)に電話予約の一発勝負!当然一般発売と違ってキャンセルは相当のこと(事故,天災,車両故障など)が無い限り皆無なので、ダメならダメで引き下がるだけ。定員が往路復路共40人という難関!
申込日2004年7月1日14時。昼休憩でも煙草休憩でもない仕事中。明らかに社会人には不利だが、そこはかかってきた携帯電話に出るふりをすることで何とか解決。旅行センターの電話番号も携帯に登録し、自分の情報もきっちりメモして、運命の時間。なったと同時にかけるが話し中、切って再度挑戦するもやっぱり話し中。もう次が最後かなと思った3回目、ついに繋がり…
「はい、こちらびゅう旅行センター新潟です。」
「8月28日『あさひ』往路新潟から米沢までと、同じく8月29日『あさひ』復路米沢から新潟までお願いします。」
「…かしこまりました。まずそちらの御名前と御連絡先をお願いします。」

このようなやりとりの末、無事予約成功。その後往復旅行代金を指定口座に振り込み、手続き完了。そして事後承認のような格好になったが、『能登路』の分と合わせ有休3日分をもらい(3月からちゃんと仕事に出ていたから、もらえたのかな?)、すべて完了。
しかし、8月の中旬になっても未だきっぷは届かず。乗ると宣言していた立場上、本当に乗れるんか不安が増大。そんな8月18日、体調を崩し午後休ませてもらって家で寝込んでいた18時頃…。
「ピ〜ンポ〜ン(←玄関チャイムの音)」
「…ふぁ〜い。」
「えーとですね、△△さんおられますか?」
「私ですけど。」
「これにサインかはんこもらえますか。」
やっと届いた、配達記録。それぞれ往復分の引換証(会員券),きっぷ(兼車内抽選券),日程表。これで全て揃った。
ちなみに、第4弾『野沢』長岡〜長野、第5弾『ひめかわ』新潟〜直江津はアウト。日程上、断念(T_T)
急行「あさひ」リバイバル運転乗車奮闘記・旅行記